神の摂理

個人寄稿投稿に当たり、僭越ながら例として私が約14年前、枚方教会に在籍していた折、グァタルベ(枚方教会月刊誌)に投降した文章を掲載させて頂きました。

9月18日三男の純(4ヶ月)が、幼児洗礼を授かることが出来ました。これも家族の理解とイエス様のお導きがあったからこそ実現できました。感謝とともに大きな喜びに満たされています。この紙面を借りて、準備を行って頂いた方々、洗礼式のミサで共に喜びを分かち合って頂いた方々、司式を執り行って頂いた竹延神父様にお礼申し上げます。ありがとうございました。

今回のテーマとして、未信者の配偶者をもつ家族の現状を書くことにします。私の家族は未信者の妻、小4の長男、幼稚園年長の次男、冒頭に書いた3男そして私の5人家族です。枚方教会では、長男はたまに侍者をしながら教会学校で楽しく過ごしています。次男は今年度から教会学校にも行きだし、徐々に教会に慣れてきています。そして妻ですが、私達が教会に行っている間は家で純の面倒を見ています。信者でない妻は教会に行く必要が無いからです。私は幼児洗礼を受け、父も亡き母も弟も信者である家庭で育ちました。日曜日に教会に行くのは当たり前でした。しかし妻はそうではありません。毎週お寺や神社に行っていたわけではありません。何かに強い信仰を持っているわけでもありません。しかし、私のキリスト者としての行動に理解を示し許してくれています。私の弟家族も未信者の妻と3人の子供がいます。その子供達はまだ洗礼を受けていません。弟から聞かされたのですが、母親が亡くなって新しく墓を作ろうということになりました。そして出来上がった墓には当然の事ながら十字がきってありました。それを見た弟の妻は私もあの墓に入らなければいけないのかなぁ・・・

結婚を決めたとき、私は妻に言いました。僕はカトリックの信者だ、教会にも行っている。結婚してからもそれは変わらない。しかし、信教の自由は尊重するよ。妻にとっては、また、平均的な日本人にとっては当たり前の言葉に受け取られていたであろうと思います。そもそも日本の文化の中で、神様はどこにでもある、いる存在であると思う。道端には道祖神という神様がいるし、七福神に天照大神や仏様。神様はたくさんいるし、都合の良い神様を都合のいい時に引っ張り出してきてお祈りする多神教の文化、唯一全知全能の神である主イエス・キリストを信じる一神教の我々とは根本的に捉え方が違うと思います。ミサ中に神父様が未信者の方に祝福を授けますが、妻も祝福を受けます。その意味は、主イエス・キリストも多神教の中の一つの外国の神様であって、なるたけ多くの神様にお願いしたほうがご利益も多いという文化で育った環境があるからです。これが他の一神教の神を信じている人だったら祝福を受ける事はないと思います。そもそも、日本人で信仰を強くもっている人は少ないと思います。私の周りでも自分は無宗教だと言われる方が殆どです。話が脱線し始めたので戻します。妻は先にも述べたような尺度で宗教というものを捉えています。それが、旦那は毎週のように教会に行って貴重な休みを費やしている。平均的な日本人からは入れ込んでいるとも捉えられているでしょう。それを、文句も言わずに、また子供たちにキリスト者になる道を許してくれている妻に感謝しています。

父親にこの類の相談をした事があります。その回答は、「神の摂理」である。

H・F